◆Philosophy「換金思考」
自分で名付けてみました。
昨日はM-1の感想をどうしても書きたくなったので急遽予定を変更して今日にしました。
換金思考という言葉の定義を説明するにあたり、この言葉を思いつくに至った経緯を書いていく。
結論から書かない理由は特にありません。
この論調がうざったい人はそっとPC 閉じてください。スマホの人は見てください。
経緯。
ここ何年かで数回あったが、自分の特殊能力や努力して作り上げた成果物に対して、
「それでお金取れるよ!」とか「Youtubeに上げてみたら?」とか言われた。
そう言われるのも今の時代においては当然だとは思う。
そこは理解してはいるが、毎回がっかりさせられる。
なぜ自分がガッカリするのかを言語化してみたところ、
拝金主義のような思想が嫌、という結論に至った。
ここからはそれについて述べていく。
自分にとって、お金というものは生活する上では切っても切れない関係にあるとは理解している。
経験則的に、お金が十分にある状態の時は心が安定しているし、お金が無い時は頭のリソースが全てお金に割かれてしまっていた。
自分以外にも似たような状態になっている人をゴロゴロ見たきたし。
さらに厄介なのが、お金があってもより多くのお金を求めてしまう。
お金を目の前にすると人間の理性が吹っ飛んでしまう。
自分を含め、こうしたお金の魔力に翻弄されている人を見ると悲しい気持ちになってしまう。
本来お金は物物交換を効率良く行うために発明された手段であるのに。
欲望という邪魔者のせいでいつの間にか手段が目的化してしまう。
こんなことを考えているうちに、すぐお金を得ることを目的化して考えてしまう自分と世の中がだんだんと疎ましく思えてしまった。
というわけで、皮肉を込めてこのような考え方のことを「換金思考」と名付けることにした。
流行らせたいわけではありません。
珍しく自分で考えたワードがスッと入ってきたので。
なので断っておきたいのは、自分がブログを書いている理由もお金のためではありません。
そりゃもちろん金銭欲求だって承認欲求だってあるよ。
あるけどそれを第一目的としたくない。自分で自分をカッコ悪いと思ってしまう。
一番の目的は
・継続するという経験を作りたい
・思考を整理するため
・読んだ人を楽しませたい
ということ。
以上で、「俺はお金目的ではなく崇高な思想を持って生きているんだぜ!」とアピールするカッコ悪い記事を閉じさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。
お金ほし〜