◆Business「何かを継続するために必要なことは、「合理的に考えないこと」かもしれない」
今の時代、多くの情報により自分の判断が揺さぶられる。
これまで最適解だと信じてきた手法よりも合理的に思えてしまうからだ。
そして情報を集め出し、今の手法と次なる手法を比較検討するようになる。
「今から〇〇をした方が最短で儲かるのでは?」
「有名になるには△△の方が最適解かもしれない…」
そして大抵の場合、自分の信念が揺らぎ、次なる手法へシフトチェンジする。
その繰り返しである。
結局何も継続できず、道半ばで断念してしまうのだ。
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このように、「合理的」という判断基準で何かの手法を選択し、継続しようとするとそれができなくなってしまいがちだ。
継続することが合理的、と考えているにも関わらずである。
合理的に判断することが必ずしも正しいとは限らないことが分かる。
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そもそも「合理的」とは、どの範囲においての話なのかを考えないといけない。
短期的?中長期的に見てなのか?
経済的に見てなのか?
自分の心地よさ?社会的貢献度の高さ?
このような切り口で考えると、自分の考える「合理的」とは、別の立場に立つと必ずしも合理的でないことが見て取れる。
合理的選択への信奉という、非合理的な態度そのものが矛盾しているのである。
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ではどうすれば良いのかというと、自分の感情を継続する動機にするのはどうだろうか?
「楽しいから」「好きだから」「仲間と繋がれるから」「頑張りたいから」とかで良いと思う。
子どものような感情が、実は継続できる秘訣なのかもしれない。
自分の少年時代に置き換えると、確かにあの頃の方が物事を継続できていた気がする。
少年野球をやっていたが、ある時スランプに陥り、監督からひどく叱られた。
その時号泣し、「見返してやりたい」という気持ちになり、その感情だけで300日連続で素振りをすることができた。雨の日も風邪で熱を出している日も、1本でもいいからと言って意地になって継続していた。
そういう感情だけで良いのである。
実際、素振りを継続できただけでなく、100日程素振りを続けた時の試合で1試合3本ホームランを打ったことがあった。周りからは賞賛されたし、素振りの効果を実感できたことが嬉しかった。
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話がだいぶ脱線したが、現時点における結論として、
・あるものを継続するためには「合理的」という基準で選択したものは続かない。
・自分の感情を継続の動機の大部分にする。
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うーん、方法論に落とし込もうとすると、ビジネス書のようなチープなものに見えてしまうなぁ笑
◆Others
今日は仕事もプライベートもやたら忙しかったので昔作った記事を投稿。
こういう日があってもいい、ということにします。
そして今日は人から優しくされ過ぎた。
今日死ぬんじゃないか?と思うくらい色んな人から優しくされた。
本当に感謝。
俺の人間性が素晴らしいからかな🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪🤪